My Daily Programming Life...

悩むということ

今日、ある人からちょっとした相談を受けた。マネージメント的な話だったので僕に相談してきたようだ。
彼女は本当に悩んでいるようだった。ただ、いまいちその本質までは掴み取ることができなかった。話はするのだけれど、いまいちどこに問題の核があるのかがはっきりしない感じがした。
その理由の半分は、僕に当たり前のことが彼女にあたり前ではないからとか、そういう差からくること、もう半分は、どこに答えがあるのか彼女自身もよくわからないということ、じゃないかと思った。
(完全な僕の想像なので、僕の頭が悪いだけなのかもしれない。)

やりとりの中で、何となく「どういう風になったら、よいと思う?」と聞いた。まあ、その答えや、その後の結論は置いておいて、この質問が結構いろいろなことを教えてくれる質問なんじゃないかと思った。

僕は悩んでいる。これは確かで、ずっと悩みながら生きている。でも、正直何に悩んでいるのかが分からないのが現実だ。なぜ毎日、何かが足りないと思いながら生きているのか。それが何なのかが分からない。

さて、僕は「どういう風になったらよいと思う?」のだろうか。
「すごいソフトウェアの開発」ができれば幸せか、「グーグルに就職」できれば幸せか、「ノーベル賞をとった」ら幸せか、「日本一周旅行」ができたら幸せか。
なんとなく、こんな風になったらすごいなぁ、なんてぼんやりと考えているものを並べてみても、実はぜんぜんそれで幸せにならないことに気がつく。

一方で僕が悩んでいなかったころのことを思い出すと、この問いにはっきり答えられていた。
高校生の時は「勉強していい大学に入る」ことができれば幸せだったし、大学に入ってからは「ジャグリングが上手くなる」ことができれば幸せだった。だから、その当時僕にこの質問をしていたら、僕は間違いなく、この答えを言っていた。100%これを言っていた。そういうものがあったということだ。

そういう状態の人間は強いと思う。すべてのことに解決の道が見出せるし、そこに向かっていける。

あまり気にしすぎても答えはでそうにないが、「どういう風になりたいのか」という問いから自分を考えていくのもよいと思う。

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